【偕髙塾】塾長・塾生ブログ

転職・起業・就職で悩んでいる人を応援するブログです!

兎の登り坂 2018年11月23日 金曜日

昨日は物件が決まる前から
嶋木さんと嶋木さんの奥さんと
一緒に会って話しをする予定が
あったのだが
ちょうど良い機会となった。

やはり「縁とタイミング」
直接会って話しをしたのだが
今後、トラブルにならないか
直接会っても不安が残った
でも、それ以上に彼に任せて
彼が提案してくれる内容に
期待してしまう自分がいる

今迄を振り返れば、
やはり大変なことばかりなのだが
自分で選択し決断したから
いやいややっているコトでは無く
好きでやっている
それを忘れたらダメだと思う

いい気分で対応している時と

嫌な気分で対応している時では

必ず結果が違ってくる

今日は気持ちを切り替えて
ホームページの打ち合わせだった
物件が確定したので
詳細な部分迄話しをするコトができた
ホームページを作成する上で
いろいろな人から助言をもらった
本当にありがたい言葉ばかりだった
ホームページで
伝えたいコトの骨子は
まさにどんな場所にしたいかを
伝えたいと思う。

① 人が集まる場所

② 情報更換が出来る場所

③ お互いが刺激しあえる場所

何かをきっちり決めて行うのではなく
時間をかけてでも人が集まる場所にしたい
特に悩んでいる、困っている人が
最初に訪ねてくる場所にしたいと思う
何か面白そうだな、
ちょっと顔出してみようかな
そんなレベルでかまわない
苦しみにくるのではなく
来た人がいい気分になって
もらえる場所にしたい

ゼロから始めるコトは
以前の会社でも
何回か経験させてもらったが
経験に捉われ過ぎては
ダメだというコトは分かっている
ただ、その時の経験で活かせるコトは
存分に活かしたいと思っている。

 

ミニストップで働いていた時に

新しい立地に店舗を展開する事業を

任せていただいたコトがある

あの時も最初は大変だった
何をやっているか分からないと
言われながら仲間とコツコツと
成果を積み上げていった
今日のホームページの
打ち合わせの後に
その時のことを思いだした。

この頃は、
思いだすコトばかりなのだが
いろいろな情報をインプットすると
過去の様々な出来事が関連付いてくる
その時の仲間には今でも感謝している
会社を退職した時も
猪木さんと村沢さんは
遠い所からわざわざ訪ねてくれた
嶋木さん達とは違った意味で
思い出が沢山ある
立ち上げの業務だったので
彼等にとっては
相当大変な業務で
辛い業務だったはずだが
チームとして取り組んだコトで
みんなで目標を達成するコトが出来た

志、目標と結果が

連動した事例だったと思う

自分自身を振り返れば
体力的には大変だったのだが
気分はいつもいい気分だった

確かその時の共有した認識は
「新しい飯のタネ」を作るコトだった
ミニストップの新しい姿、武器を
創造することをみんなで取り組んだ
目標としては

① 仕組みを作って多店舗化

② 黒字化

③ FC化

最初は何も無かったのだが
最終的には全て実現するコトが出来た
簡単では無かったのだが
実現出来たパターンは覚えている
会社と個人では違うかもしれないが
参考にはなるかもしれない
キーワードはいくつかある
目標の共有、チームの一体感、勢いを作る

特に大事なコトは勢いを作るコトだ

勢いが出来れば

大概のモノゴトは上手くいく

あの時のメンバーの
一人一人の奮闘を今でも
思いだすコトが出来る
先週のコトを思い返せば
停滞していたものが
流れだしてきている
ここから勢いを
どのように出していくか
考えなければいけない。
気が付くといつも
土日になっている
平日が充実しているというコトに
感謝して土日で考えを
整理するコトにしよう

今日の一言
流れに棹さすコトが重要だ。

このブログは筆者の
実際の経験を基にしていますが、
実名、企業名等に配慮し
フィクションの形式を
とらせていただいております

kaikoujuku.com

明日(2019年2月4日)の運勢ランキング

1位:てんびん座(明日の運勢)

●ラッキーナンバー:1
●ラッキーカラー:ゴールド
●ラッキーフード:ホットケーキ 
●ラッキーアイテム:宝くじ
●アゲ運ポイント:たとえ好みではない人でも、構えずに友達から始めてみて。

今日のおまけ

飯田橋駅周辺紹介
昔の飯田橋シリーズ
家康入城時のパネルを紹介させて
いただきたいと思います。
芦が一面に生える沼地に、
平川が流れ、田や畑があります。
平川の上流には小石川大沼があります。
徳川家康は、関東平野の中央に位置し
周りには川が流れていて、
防御には最適、海に面して
港作りに好都合と、
江戸の小さい田舎のお城を居城にしました。
家康は、城を出て土地の事情を
尋ねた農民の名前が、
飯田喜平衛というので、
このあたりの土地を飯田町と名付けました。

f:id:takeea:20190203131740j:plain

昔の飯田橋